どーも。堀内です。

制度をつくる時や目標をたてる時、仕事をする時、アドバイスする時など様々なシーンで、「頑張りやすい状況を作れているか?」という点を考えています。今回はそんな話です。

例えば、小学生時代の宿題で、漢字ドリルってありましたよね?同じ字を書き順を正しく10回とか20回とか書くことがあったと思います。実際に字を覚えるプロセスとして、繰り返し書くことは必要だとは思っています。

しかし、もう覚えているよ〜っていう字を20回も書かされるのは本当に苦痛です。

それでいて、宿題なので絶対にやらなければいけませんでした。

自分としては、テストで書けていたら免除してほしいな〜といつも思っていました。遊ぶ時間を全力で確保したい堀内少年は、学校の休み時間や、授業中に全部終わらせて、学校から帰ったら一番乗りで公園でサッカーをしたいと考えていたので、基本的に家ではやりませんでした。

母が私の娘に「お父さんは宿題なんかやってなかったわよ」みたいな話をしていて発覚したのですが、 家で宿題をやっていない→怒られてもなんとかしてた と思っていたみたいです。

まぁ小学生の時は一番テストの点が取れた時代だったと思います。(そもそもみんな100点みたいなテストばっかりでしたが)

※「かつて天才だった俺たちへ」というCreepy Nutsが好きです。

路線が外れている感じになってしまいましたが、嫌なものを頑張れというのは簡単で、身につくからやりなさい、というのが昔の勉強だった気がします。その中で私は勝手に「宿題をやること」や「勉強すること」を頑張るのではなく「宿題を早く終わらせること」に頑張っていました。

行動自体は同じなのですが、この考え方だけで大きく違います。実際に学習をきちんとできているのか?という意味では、全ての宿題に同じ事は言えませんが、繰り返しで学ぶものについては、同じと言ってもいいと思います。

「頑張ったら評価される」「頑張ったら報われる」というのは、私はある程度正解だと思っています。「頑張った」という行為については一定の評価があっても良いと考えています。しかし、「頑張ったら成果が出る」「頑張ったら成長できる」というのは異なっていて、結果がどうなるかは「頑張り方」で大きく変わってきます。

そのため、闇雲に頑張っている人を見ると誰かのアドバイスが必要だと感じます。

私自身もそのケースが多いです。自分で何でも学ぼうとしたり、知ろうとしますが、ある領域からはプロに任せるべきとか、エンジニア・デザイナー・ディレクターに任せるべきというシーンが増えてきています。

頑張ってできることの限界や、時間的な制約も多くあるためです。

頑張った人が報われない制度や目標を作るのも悪だと考えます。ズルをすることができる制度は、その制度が悪い、と言われても仕方がないと思います。

しかし、その対象が誰なのか?という点も非常に大事です。弊社の制度であれば、弊社のメンバーが対象になります。ズルいことをしようと思えばできるかもしれませんが、他の面でマイナスな印象を与えるような行動は避けるべきだと考えています。

なにか公共の場でのルールであれば、犯罪であったり周りへの迷惑をかけないこと、がベースになると思います。ルール違反をした人が損をしたり、罰せられる仕組みにしなければなりません。つまり、「真面目な人が損をする」ようなルールは良くない、ということですね。

しかし、悪い人側に合わせてしまうことで、細かい定義がなかったものが定義され、生きづらい世の中になったな〜と感じるシーンも多くあります。特に日本は改善のサイクルが早いので、なにか問題があると、そこにすぐ蓋をしにかかります。

良くも悪くも、隙間や空白がない状態になっていきます。

電車やバスの上に人が乗っている他国を見たりすると、そのギャップに驚かされますが、そっちの方が住みやすいのかな?と感じることもあります。

どのような人がそのルールの中で暮らし、どんな人の目標なのか、道筋がはっきりしていて、頑張れば成長できる状態なのか?頑張れば成果が出る状態なのか?ふと立ち止まって自分や周りの人のことを考えてみてください。

頑張りが報われるように、頑張り方を正してあげてくださいね。

ではまた。

2025.12.19 堀内文雄(2025年はこないだ始まったばかりだと思っていました)

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