
どーも。堀内です。
“無知の知”という有名な言葉を今回はテーマにします。
Googleで検索すると、もうGeminiが答えてきますが、以下の回答が来ます。
「無知の知」とは、ソクラテスが提唱した哲学の概念で、自分が知らないことを自覚することが、真の知識への第一歩であるという考え方です。つまり、「自分がいかに無知であるかを自覚していること」が重要であり、知らないことを知らないと認めることで、新たな知識を学ぶことができる、ということを意味します。
これの反対に「何がわからないかわからない」というのもありますよね。おそらく、何が間違っているのか明確にできないくらい内容がわかっていない、というような状態かと思っています。イメージで言うと、自分が学習していない領域のテストを受けた時の感覚なんだと思います。
学生の頃にあった「実力テスト」がそんな感じだったと思います。自分は、その感覚に陥ったら、とりあえずその問題とはサヨナラしていました(笑)。「点が取れる方に注力する」という感じですね。テストは時間と上限が決まっているので、そのようなアクションが最適だと思います。
しかし、人生を考えた場合、わからない領域と出会うのは「とても楽しいこと」だと思っています。「わからない事がわからない、というレベルの領域があることが分かった」という話です。
その状態に直面した時に、嫌な気持ちになる人も多くいると認識しています。自分としては、それを楽しむべきだと考えていますし、本当に楽しいです。無知を知った次は成長しかないからです。 詳しくなるとまでは言いませんが、知らなかったことを知る機会になるのです。知ったことで、幅が広がると考えます。パソコンやスマホのように容量に限界があれば捨てるべきかもしれませんが、まだまだ私の脳には空きがあると思っています(笑)。
私のような役割の人間は、概要を理解し、実現性や有効性、応用して何ができるか?を考えることができればOKです。実際にコーディングを行う人間とは異なるのはわかりますが、概要を掴むことで大きな成長につながることが多いです。
自分が詳しいものとリンクさせて理解することもおすすめです。例として詳しいもので置き換えてみたり、詳しいものとの違いを明確にしてみたりすることで、理解や話がしやすくなります。
個人の考え方として、学習するべき対象とそうでないものを定義する人や自分が使えるか使えないか、で判断する人もいると思います。
「ここは自分の領域じゃない、知らなくて良い」というのも正しいと思いますが、 「ここは自分の領域じゃないけど、知っておいたほうが良いな」が増えることでお互いの仕事や知識に対するリスペクトも生まれてくると思います。
「なるほど、この人はこの分野を掘り下げているのか、詳しいのか、こういうところを楽しんでいるのか」みたいに考えると人と話すのも楽しくなりますし、人に興味を持つことができます。 子どもと話すときにでも発動できますし、年配の方とお話するときにも使えます。
「自分は知らないので、教えてほしいです。」という言葉を正しく使って、無知の知を楽しんで、人生を楽しんでみてはいかがでしょうか?
ではまた。
2025.06.27 堀内文雄(今年の梅雨は短そう?)